四国・松山への旅 【松山市】 3/3

ジミヘン

2012年09月03日 08:02

          


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           関西お好み焼き総研+(プラス) 

     ジミヘンの焼きそば研究 「焼きそばパラダイス」

             第12号 (2012-9-3)

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 皆さん、お元気ですか。ジミヘンです。

 偶然とは怖ろしいものだ。筆者が松山のローカルなお好み焼き屋で絶品の
三津浜焼き”をいただき、ふと壁を見るとものまね芸人松っちゃんのサイン
色紙が張られていた。
店主に伺うと、先日取材に来て、その放送が数日後にあるという。

そして、日曜日の朝「旅ぷら」を観る。
松村君と松本明子の二人が、本当に三津の町を散策していた。
松山城へ登り、道後でうまい寿司を食べる。三津で”渡し”に乗り、「みよ
し」さんで三津浜焼きを愉しんだ。

筆者が思いついた旅程を彼らも考えついたのだ。         
偶然って面白い。



   四国・松山への旅 
        ~三津浜焼きとカンチの故郷を訪ねて   
【松山市】


第3章 松山城と子規   【3/3】


▼翌朝、ホテルの最上階にある露天風呂で”朝風呂”に入る。
ホテルを選ぶとき、露天風呂があるかどうかを確認するようになった。
肌にまとわりつくような水質は天然温泉のそれである。湯船に身体を沈めて
いると、前日歩き回った疲れが溶けていくようだ。
外を見やると、正面に小高い山があり、その頂上にミニチュアのような城が
見えた。名城として名高い「松山城」だ。今日は、城に登ってみよう。


   
   


 ロープウェイ乗り場へ向かう通りには「坂の上の雲ミュージアム」などがあ
って、多くの観光客で賑わっていた。途中、建物の壁面にこんな句があった。
春や昔十五万石の城下かな  子規」 
松山の町を歩くと、至るところで子規に出会う。


   
                         


全国各地の県庁所在地には必ずと言って良いほど城郭や城址公園があり、そ
の周辺に県庁、市役所などが集まっている。松山もやはり城を中心にした町
である。
1602年、伊予大名加藤嘉明が築城に着手し、この地を「松山」と呼んだ。
その後、松平家が藩主となったため、三つ葉葵の家紋が天守の瓦などに見ら
れる。
天守閣へ登るまでの間、巨大な”登り石垣”が連なり、多くの門を通過する。
この城は意外なほど本格武闘派の山城であった。江戸幕府がやがて構築する
管理システムが戦争をなくすことなど築城の時点では誰も想像していなかっ
た。


   


  
   


▼下山すると、県庁前の路面を「坊ちゃん列車」が音を立てながら走り抜け
た。市内にはマドンナバスも運行されているらしい。
松山人は、子規と漱石と秋山兄弟が大好きなのだ。町の誇りであり、敬愛し
て止まない。

腹が減ったので、郷土料理店「ごしき」へ入る。町で店の場所を尋ねると、
皆が口をそろえて「ごしき素麺ですね?」と言った。素麺の老舗でもあるら
しい。
筆者はお目当ての「宇和島鯛めし」を注文して待つ。
鯛めしには2つの種類がある。ひとつは鯛を一匹豪快に乗せた”炊き込みご
飯タイプ”であり、もうひとつは鯛の刺身をだし醤油に浸けて熱いご飯の上
に乗せる”海鮮ぶっかけ飯タイプ”である。
松山市内では前者のタイプが主流であり、宇和島地方では後者を”ひゅうが
めし”と呼んで昔から食べていた。(鯵を使うことが多かったようだが‥)


   


仲居さんに食べ方を聞く。ご飯の上に鯛刺身と薬味をのせ、ゴマが入ったダ
シ醤油に山いもとろろを加えたものをぶっかけて食べるとのこと。
十年来、一度は食べてみたいと念願していた「宇和島の鯛めし」は醤油に卵
黄を溶いたものであった
が、この店では卵の代わりに粘度の高い山いもを使
っている。


        


つやつやとした新鮮な鯛が美味い。身が引き締まってプリプリしている。
甘口の醤油タレもイイ感じだ。そして、味噌汁をすすって驚いた。甘ーい!
またも漫才師のギャグが口を突いて出てきた。
ホテルの朝食バイキングでも同様に甘い(甘過ぎる)味噌汁に遭遇していた。
土地の麦味噌を使うので甘い味噌汁になるらしい。
定食についていた「ジャコカツ」が殊の外おいしかった。ほんのり温かいカ
ツは、昨夜ホテルの部屋で食べた”じゃこ天”より断然美味だった。


▼駅の近くにある「子規堂」へ寄ってから帰ることにした。
正岡子規は慶応3年(1867年)松山市に生まれ、36歳で病に没するま
で俳句・短歌の改革運動に身を砕いた。俳句雑誌「ホトトギス」によって日
本新派俳句を全国に普及させた。


   
   


子規堂は文学仲間であった正宗寺住職が業績を記念して子規が17歳で上京
するまでの住居を、寺の中に残したもの。その展示物の中で心を打たれたの
は、病床で頭を枕につけたまま描いたという静物画の数点だった。
みずみずしい野菜や花を見事なタッチで切り取っていた。死期を悟った彼は
どんな思いでこの絵を描いていたのだろう。


駅へ戻り、バスターミナルで神戸行きのバスを待った。
その時、大きな看板の標語が目に留まった。市民にマナー向上を訴える標語
だった。
ポイ捨ては 子規のまちには ありません

松山市民の公徳心の高さと、文化度の高さを知らされた旅であった。






    ◇郷土料理「五志喜」本店  
         松山市三番町3-5-4   
 

          宇和島鯛めしランチ   1,280円
    






   


  ◆Youtube動画「四国・松山への旅」

   => http://www.youtube.com/watch?v=P7oSFblmxeo

     



 ※さて、次週からはメルマガ発行を再びペースダウンし、不定期の発行に
  するつもりです。
  新しい企画を思いついたら、また新シリーズをスタートする予定ですの
  で、どうぞお楽しみに。



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