「高砂」(神戸・和田岬)

ジミヘン

2012年02月25日 08:02


      お好み焼き名店探訪


 ◆お好み焼き
  生地  :  ややトロッとした生地
  キャベツ: 細い千切り(焼きそばに入る)
  具   :  牛すじ・海老・イカ・たこ
  焼き方 : 神戸風モダン焼き
  ソース : お好み焼きソース
  満足度 : ★★★ (味もコスパも極上)



   


 具だくさんのモダン焼きにテコを入れ、箸で食べ進む。たこやイカがゴロ
ゴロと現れ、大きな海老や細かくカットされた牛すじ肉も出てくる。
何という豪華な”チャンポンもだん”だろう。

しばらくすると、近所のおばちゃんが”白ごはん”を持参して入店した。
どうやらオムライスを作ってくれというリクエストのよう。それに対し、店
のお母さんは、おしゃべりをしながら手際良く作り始める。
すると、ひと仕事を終えた風のおじさんが登場し、カウンターに腰をかけて
ビールを飲み始める。
砂ずりの塩炒めを注文してから、こんなことを言う。
「最近、睡眠不足でね。疲れ過ぎるとニンニクを受け付けないことがあるよ
ね。」 お母さんとおばあちゃんは「そう、そう」と相槌を打つ。
仕事をしている人はタイヘンだ。私などは定年を迎えて以降、そんなに疲れ
た経験がない。


   


食べ進む内にソースが甘く感じられたので、卓上のどろソースをかける。
うむ、これでグンと味が引き締まった。
それにしても素晴らしいコスパだ。やさしい風味の中華麺と新鮮な具材、そ
れを柔らかい生地が包んで、神戸の地ソースとシャキシャキの青ネギだ。
近所の常連さんはシアワセだ。毎日、こんな絶品お好みを食べられるんだか
ら‥。
お母さん、ごちそうさまでした。



腹も膨れたので、史跡めぐりに出よう。
最初は「薬仙寺」という寺。ここには清盛が福原遷都の際、後白河法皇を幽
閉した「萱の御所跡」の碑がある。清盛は、法皇を三間四方の狭い御所に押
し込めたが、法皇はこの御所から伊豆の源頼朝に平家追討の院宣を下し、挙
兵を促したという。





兵庫運河に架かる清盛橋を越え、清盛塚まで来ると、多くの観光客が集まっ
ていた。清盛ゆかりの地を歩くツアーの途中であろうか。
大河ドラマの影響で、この地が注目され、再発見されるのはうれしい事だ。


   

   


しばらく北上すると兵庫大仏が見えた。ここ「能福寺」に清盛の墓がある。
解説サイトの説明文を引用させていただく。

 「能福寺は平清盛所縁の寺としても知られ、1180年(治承4年)、
  福原京遷都にともない平清盛が能福寺で剃髪入道(浄海)し、平家
  一門の祈願寺に定められ大伽藍が建設され八棟寺と称されました。

  能福寺境内には平相国廟(平清盛廟)・平清盛公墓処があり、平清
  盛が京都で荼毘にふされたとき、この寺の住職円実法眼が清盛の遺
  骨を持ち帰り寺領内に葬ったと伝えられています。」








明治23年に建立された兵庫大仏は一旦壊され、戦後再建されて今に至る。
じっくりとお顔を眺めると、温和な良い顔をされている。
今まで陽の当らない大仏であったが、これを機会にもっと存在感を示してほ
しいものだ。






さて、神戸中央卸売市場前の「歴史館」へ着いた。
小学生の社会見学であろうか、子供たちと一緒に館内を見て回った。清盛と
神戸との繋がりをパネルとアニメ映画で説明しているが、ややインパクトに
欠ける。

   

   


清盛は都での天皇・摂関家の同族争いや権力闘争に嫌気がさして、開放的な
海上都市”神戸”に憧れを抱いたのではないだろうか。
歴史に ”もし(if)” は許されないが、福原の都が続いていれば、神戸の
街はどうなっていたんだろう‥。


  「清盛の 邯鄲(かんたん)の夢 福原京」 (ジミヘン)

     



◇お好み焼「高砂」 神戸市兵庫区和田崎町3-4-9 
               チャンポンもだん  700円
               ビール(大瓶)    500円



◆「高砂」の過去エントリー
         すじモダン焼き 
           http://okosoken.osakazine.net/e158049.html

         チャンポンもだん
           http://okosoken.osakazine.net/e263041.html



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